外見に自信がない恋愛下手な人は性格を改善して余裕を得て欲しい(後編)

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外見についての悩みはどうしたら乗り越えられるのか?

恋愛を楽しみたいし、結婚もしたい。
でも、自分はブサイクでデブで肌もなんか汚いし...。異性から「ろくなもんじゃない」と思われてるかもしれない。実際、自分でもそう思うし...。

デブはダイエットで治せるけど、ブサイクを治すにはどうすればいいんだろ?整形なんてさすがにできないよね...。
肌をキレイにしたくてセラミドサプリをAmazonで注文したけど、コレで本当に治るんだろうか?
貧乳はどうすれば巨乳になるんだろう?髪の毛はやっぱりもう生えてこない?
身長は?
お酢がいいって?良質な油?いやいや亜鉛?なんとまぁ逆立ちにそんな効果が???

知らん。すべて受け入れよう。

どうしたら性格を変えられるのか?

身体的な特徴は、直せるものもあれば、直せないものもあるというのが事実です。じゃあ、その直せないものによって、自分に自信が持てないというのなら、それはもう、精神の作用に働きかけるしかないでしょう。脳内の映写機を交換です。世界の見方を変えましょう。性格を変えましょう。

そんな大げさな話ではないです。いつもクヨクヨしていたのが、最近そうでもなくなったとか、異性を前に手も足も出なかったのが、何だか自然にコミュニケーションができるようになったとか、です。

匿名 2014/06/05(木) 11:23:32
外見に自信がないのでせめて内面は出来る限り優しくありたいし、穏やかでいなくちゃって思って疲れました…。

コンプレックストラウマがあったからといって、楽しい気持ちをもって恋愛できているのであれば、それで十分ですよね。でも、コンプレックスやトラウマを引きずりながら、それでもなお、社会常識の観念の下、恋愛や結婚を目指さなければいけない...なんて状態は苦しいです。その人の本領も発揮されておらず、むなしいです。

苦しさを感じている人が、苦しさを感じないで済むようになればいいなと思います。絶対とか誰でも幸せになれるとか、そんなことは言いません。僕が、こんなことに取り組んでいたら、少し気楽に主体的に生きられるようになったかもという程度の話です。

仏教的な考え方

承認欲求という言葉があります。

読んで字の如く、「誰かに認められたい」という気持ち、欲求ですね。
トラウマやコンプレックスがある人はもちろん、そうでなくとも、誰にでもある欲求。

ふざけた話ですよ。トラウマやコンプレックスなんて、自分が進んで手に入れた訳じゃありません。心無い他人や身内などから、体の中に打ち込まれたんです。不意打ち的に。事故ですよ。事故。
それなのに、その他人や身内らは、そのこともサッパリ忘れているっていう…。

おかしいでしょ

そのことを何年間も引きずってこれまで生きてきた。コンプレックスやトラウマは、大概、精神の成熟していない若年期に形成される。すなわち、青春時代がそれによって、ボロボロのズッタズタにされたということ。誰も解決法を教えてくれないし、この気持ちを分かってもくれない。何なら気付いてもくれないんだけど、自分から相談しようにも、変なやつ」「キモいと思われたくないし、実際は、信頼できる相談相手なんていなかった。仮に相談相手がいたとしても、上手く説明できなかったかもしれないけど...。今もできないし。

なんでこういうことが、貴重な青春時代に起こったんだろう?なんで、僕の青春時代はこんなにも苦しいのだろう。第二の青春なんて知ったことじゃない。10代という最高の時代をもう一度味わいたい。もう一度やり直したい。だって不公平でしょ?こんなのって。

マドンナ
 仏・教子
はい。ぜんぶ囚われでーす。

と仏教は言います。
僕は、別に仏教は詳しくないんですが、まあ、こんな感じです。

宇宙人
びびり十段
怒られない!?

返り討ちにす

承認欲求という風呂敷の中には、こういう有形無形の思念がそれはもうギッシリと詰まっているんです。もう本当中身はドロドロです。
それらの思念は、強欲とか、貪欲とか、傲慢とか、欲深さとか、執着とか、仏教では表現されます。
つまり、あなたは強欲で貪欲で傲慢で欲深く執着した人間ということです。過去を変えるなんてできるわけない。体験を消すなんてできるわけない。自分すら変えることができてないのに、他人なんて変えることができるわけがない。おこがましいことこの上ない。

僕は、例えば、社会的な場(もちろん人間関係が存在する)で、不安や恐怖を感じたときは、

はいはい。承認欲求ね。(はー(ため息@しんどい))
あーはいはい。俺が悪いのね。欲深いのね。貪欲なのね。(はー(ため息@しんどい))
わかりました。わかりました。承認欲求ね。(はー(ため息@しんどい))

と考えていました。
もうぜんぶ承認欲求のせい。承認欲求がぜんぶ悪い。

あたかも、承認欲求という悪魔が肩や背中に貼りついているイメージ。呪い。

© 1984 Studio Ghibli・H

このように考えたとして、全然いい気分になれるわけでもないんですが、少なくとも、不安や恐怖は緩和されたような感覚がありました。実際、人間関係の中に入ってしまえば、意外と体は動いたりします。実際に不安や恐怖の中にいる瞬間が、最も不自由ですね。

変な話、
悪いのは全部自分ではなく承認欲求!!
という風に、「自分とは違う一つの独立した存在」として捉えていた感がありますね。

それと、
絶対に承認欲求には勝てない!!争ったらフルボッコにされる!!
という風にも捉えていました。

© 1984 Studio Ghibli・H

諦めですね。
諦め執着の死
なわけじゃないですか。そういうことなんじゃないかと思います。知らんけど。

メンタリストDaiGoの動画チャンネル

メンタリスDaiGoさんはすごいです。動画の量が尋常じゃないです。
僕は一時期動画を見まくってました。
ほとんどの動画が科学的な裏付けのある内容になってるので説得力があります。かといって、難しいということもありません。

ああ、たしかに、そういう時ってあるある~
こういう原因があったのか~なるほどね~

という風に、知識を簡易に得られるとともに、人間の性質を学ぶことができます。

たとえば、「ハロー効果」という現象があります。

【ハロー効果】
人や事物のある一つの特徴について良い(ないしは悪い)印象を受けると、その人・事物の他のすべての特徴も実際以上に高く(ないしは低く)評価する現象。後光効果。光背効果。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%8F%E3%83%AD%E3%83%BC%E5%8A%B9%E6%9E%9C

こういった現象やバイアス(先入観、思い込み)が数多く紹介されているんです。自分の先入観や思い込みに関係する動画を見ることで、自分の内面を旅することができます。人間というものの不確かさやあいまいさを感じることで、より理性的になれます。

DaiGo動画はいっぱいありますが、中には課金しなきゃ見れない動画もありますね。月500円程度だったと思います。

実践的訓練法(身体感覚)

ああでもないこうでもないと頭の中で妄想するのが人間ですが、集中力との兼ね合いが必要です。集中力がゼロだったら、事故とか起こして死んじゃいますから。

瞑想

DaiGo動画でもちょくちょく取り上げられてますが、瞑想をしてみてはいかがでしょうか?

僕は歩行瞑想というものをしています。瞑想と言いつつも、歩く際に、移動する足を意識するってだけの内容ですけどね笑 外出すればできることなので気楽に続けられます。

効果はどうか?

仮に、これまで、まったく瞑想をしなかった場合を想像して比較すると、続けていてよかったと思っています。インターネットで検索すればわかりますが、その効果は科学的に認められていて、世界中で行われているのが瞑想です。

現代文の勉強

言語能力を高めましょう。読解力を高めましょう。

僕は子供のころからそれなりに読書をしてきたと思ってるんですが、そういえば、学生の時の国語のテスト結果にそれは反映されてなかったな...と。
それが勉強を始めたそもそものきっかけなんですが、言葉に敏感になりますね。筆者や出題者の意図する内容について思考をめぐらすことは、想像力が刺激されますし、人の気持ちも分かったり、すなわち、共感力なるものも磨かれてるんじゃないかと思います。語彙力も上がりますね。思想や時代などについて学べるメリットもあります。教養ですね。

全然、答えが当たらないとテキストをぶん投げたくなることもありますが。

結び

というわけで、記事を終わりにしたいと思います。

自分に自信を持つということは、自分の理性の力や身体感覚、認識能力(想像力)を高めることを通して、自分を肯定できるようになること...なんじゃないかと思います。理性や想像力の高まりを実感できるなら、それは自信につながると思いません?

他人から見た自分の外見じゃないんですよね。自分から見た自分の外見でもないんです。学びによる内面の成長です。外見にもそれはきっとあなたの魅力として現れますよ。

ひとまず、半年くらい、手足を動かして意識を集中できるルーティン(習慣)を行うことを提案します。

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Posted by tomo1